
SPECIAL FEATURE特別取材
ニューヨーク、ミラノ、東京
「カンパリ」をめぐる冒険!
[vol.02] -
「アメリカーノ」「ネグローニ」
のルーツを訪ねて
#Special Feature
145年の歴史を持つ「アメリカーノ」
1860年にカッソルヌオーヴォというイタリア北部の街で酒造業者、ガスパレ・カンパリの手によって生まれたリキュール、カンパリ。
長い歴史の中、カンパリをベースにしたカクテルは数多く生まれたが、中でも「アメリカーノ」は、カンパリ誕生から7年後にミラノのガレリア・ヴィットリオ・エマヌエレⅡ(ドゥオモに面した広場の角)に「カフェ・カンパリ」がオープンした際にはすでに提供されていたカクテルだといわれている。
ミラノ産のカンパリビター、トリノ産のイタリアンベルモット、セルツ(ソーダ)を使うこのカクテルは、「アメリカーノ」という名に反し、材料はすべてイタリアのものだが、当時はカクテルといえばアメリカを連想させるものだったためこのネーミングになったらしい。
アメリカーノ。
一方アメリカで「アメリカーノ」をはじめ、カンパリが広く知られるようになるのはそれよりずっと後の1920年代以降のこと。
禁酒法によりアルコールが禁止されていたアメリカでは、カンパリはビターズの一種として扱われていたため、医薬品として合法的に飲めるということで人々が飛び付いたといわれている。
カンパリのポスター。デペーロ(1926)作。
その頃イタリアでは、カンパリは著名なアーティストたちとのコラボレーションによる美しいグラフィックのキャンペーン広告が展開され、大物俳優やモデルをアーティスティックに撮影した写真カレンダー(現在まで続いており、2013年はペネロペ・クルス)を作り始めるなど、大々的な宣伝活動を繰り広げていた。
ちなみに「アメリカーノ」は、007ことジェームス・ボンドのお気に入りカクテルとしても知られ、1953年に発行された007シリーズ第一作の『カジノ・ロワイヤル』に「アメリカーノ」が登場し、『ロシアより愛をこめて』(1957)、『バラと挙銃』(1960、85年に公開された映画のタイトルは「美しき獲物たち」)など、繰り返し登場している。
カンパリのポスター。カッピエッロ(1921)作。
フィレンツェで生まれた「ネグローニ」
さて、「アメリカーノ」がポピュラーになった後に登場したもうひとつの人気カクテルが「ネグローニ」。
これは「カフェ・カソーニ」というフィレンツェのバールで1919年か1920年に生まれたカクテルで、その店の顧客だったカミッロ・ネグローニ卿がいつもの「アメリカーノ」に飽きて、同店のバーテンダー、フォスコ・スカルセッリにセルツの代わりに、ネグローニ卿が旅行で行ってきたばかりのロンドンへのオマージュとしてジンを入れるようにオーダーしてできたものだといわれている。
「カフェ・カソーニ」は1934年頃に「ジャコーザ」というバールに変わり、数年前ロベルト・カヴァッリの傘下に入って「カフェ・ジャコーザ・ロベルト・カヴァッリ」となったため今ではその名残をほとんど留めていないが、ネグローニ卿が愛したカクテルとして、その名を冠した「ネグローニ」は、今も変わらず世界中の人に愛され続けている。
さらに「ネグローニ」から派生した「ネグローニ・ズバリアート」というカクテルも生まれ、特にミラノでは本家の地位を奪うほどの人気になっている。
これはミラノの老舗バール「バール・バッソ」のバーテンダーが、ジンとスプマンテを間違えて偶然できたカクテルだったため、イタリア語で“間違い”と言う意味の“ズバリアート”な「ネグローニ」と呼ばれるようになったものだ。
カンパリの長い歴史のなかで生まれたカクテルは、物語やアートに影響を与えながら時代とともに進化していき、これからも多くの人たちに愛されていくのだろう。